肥満細胞とは、細胞内に脂肪のような顆粒を多く含む姿から名づけられたもので、太っているかどうかとは無関係な免疫細胞です。
犬の皮膚にできる「できもの・しこり」の多くは良性のものですが、その中で最も注意したい悪性腫瘍(がん)のひとつが「肥満細胞腫(Mast Cell Tumor:MCT)」です。見た目だけでは良性のイボや脂肪腫と区別がつかず、そのしこりに触ると急に赤くなったり、腫れて大きさが変わるなど特殊な性質を持っています。
今回は、肥満細胞腫の基礎知識から、早期発見のポイント、治療薬までわかりやすく解説します。
第1章:肥満細胞腫とは?

肥満細胞の役割と腫瘍化のメカニズム
肥満細胞は、もともと皮膚や粘膜、消化管などの結合組織に広く分布し、アレルギー反応や炎症反応、寄生虫への防御などに関わる免疫細胞の一種です。細胞内にはヒスタミンやヘパリン、プロテアーゼなどを含む顆粒を蓄えており、刺激を受けると顆粒の内容物を放出(脱顆粒)して炎症反応を引き起こします。
肥満細胞腫は、この肥満細胞が腫瘍化し、主に皮膚や皮下組織で異常に増殖した状態です。
肥満細胞腫では、細胞の増殖シグナルを伝える受容体型チロシンキナーゼ「KIT」の異常が関与していることが多く、一部ではc-kit遺伝子変異が認められます。
KITは細胞表面にある「増殖してよい」という指令を受け取るスイッチのような受容体で、通常は特定の物質(幹細胞増殖因子:SCF)が結合したときだけ増殖のスイッチが入ります。しかし、c-kit遺伝子に変異が生じると、SCFが結合していなくてもKITが常に活性化した状態となり、細胞が際限なく増殖してしまいます。
このKITの異常は、後述する分子標的薬が効果を発揮する重要な標的にもなっています。
好発犬種・年齢と見た目の多様性
肥満細胞腫は犬の皮膚腫瘍の中で最も発生率が高く、全皮膚腫瘍のおよそ16〜21%を占めるとされています。
発症の平均年齢は8〜9歳ですが、若齢での発生も珍しくありません。
犬種としてはボクサー・パグ・ボストンテリア・ラブラドールレトリーバー・ゴールデンレトリーバー・シーズー・フレンチブルドッグなどで発生率が高い傾向があります。
見た目は赤く盛り上がったイボ状のものから、皮下にできる柔らかいしこり状などさまざまで、大きさが数日〜数週間で変動することもあります。
『要注意サイン:ダリエ徴候』
ダリエ徴候とは、しこりを触ったり擦ったりした刺激によって肥満細胞からヒスタミンが放出され、その部分が一時的に赤く腫れたり、蕁麻疹のように盛り上がったりする反応のことです。
まれに、強い刺激によって全身に大量のヒスタミンが放出されると、嘔吐・元気消失・血圧低下といった全身状態の急変につながるリスクがあります。
「しこりが大きくなったり小さくなったりする」「触ると赤くなる」と感じたら何度も触ったり揉んだりせず、できるだけ早く動物病院を受診しましょう。
第2章:グレード分類とステージング

肥満細胞腫は「見た目」だけでは悪性度が分からないため、必ず病理組織検査によるグレード(悪性度)評価が行われます。
代表的な分類が、従来から用いられている「Patnaikグレード分類(3段階)」と、より予後予測に優れるとされる「Kiupel(2段階)分類」があり、両方を併用して評価するのが一般的です。
| 分類方式 | 区分 | 概要 |
| Patnaikグレード (3段階) |
グレードⅠ (高分化型) |
細胞の異型性が少なく、多くは外科的完全切除で予後良好。 |
| グレードⅡ (中間型) |
分化度・転移リスクが症例によって幅広く、慎重な経過観察が必要。 | |
| グレードⅢ (低分化・未分化型) |
細胞異型が強く、転移・再発リスクが高い。積極的な集学的治療が必要。 | |
| Kiupel分類 (2段階) |
低グレード (Low grade) |
予後良好群。生存期間の中央値が長い傾向。 |
| 高グレード (High grade) |
転移・再発リスクが高く、生存期間が短くなる傾向。予後予測の一致率が高いとされる。 |
臨床病期(ステージング)とc-kit遺伝子変異検査
グレードとは別に、腫瘍の数・大きさ・リンパ節転移・遠隔転移の有無から「臨床病期(ステージ0〜Ⅳ)」を評価し、治療方針を総合的に決定します。
近年は、腫瘍組織を用いて、前述のKIT遺伝子(c-kit)のエクソン11領域における変異(内部縦列重複:ITD)の有無を調べる検査も普及しており、変異が陽性の場合は分子標的薬(トセラニブなど)への反応性が高いことが知られ、治療選択の重要な判断材料になっています。
第3章:症状と気づきのポイント

肥満細胞腫は皮膚・皮下のどこにでも発生し、単発のこともあれば多発することもあります。
以下のような点をチェックしてみましょう。
| 症状・所見 | 背景となるメカニズム |
| 赤く盛り上がったしこり・イボ状の腫瘤 | 肥満細胞の増殖により腫瘤を形成。良性の脂肪腫や皮膚炎と非常に似ることがある。 |
| 触ると赤く腫れる・大きさが変動する | 刺激により肥満細胞が脱顆粒し、ヒスタミンが放出されることで局所の炎症が悪化する(ダリエ徴候)。※この場合は無理に触らず早めに病院を受診しましょう |
| 嘔吐・下痢・食欲不振・黒色便(タール便) | 放出されたヒスタミンが胃酸分泌を過剰に促し、胃・十二指腸潰瘍や出血を引き起こす。 |
| しこり周囲のあざ・出血傾向 | ヘパリンなどの抗凝固物質が放出され、局所の出血や内出血が生じやすくなる。 |
| リンパ節の腫れ | 所属リンパ節への転移により腫大することがある。触診・エコーでの評価が重要。 |
| 元気消失・ぐったりする | 広範囲の脱顆粒により、血圧低下やアナフィラキシー様反応など全身性の症状を起こすことがある。 |
第4章:診断方法~しこりをどのように評価するか~

①針生検(FNA)・細胞診
しこりを見つけたら、まず行われるのが細い針で腫瘤の細胞を吸引する「針生検(Fine Needle Aspiration:FNA)」です。
肥満細胞腫の細胞は特徴的な紫色の顆粒を持つため、多くの場合、麻酔なしの外来検査で迅速に診断できます。
しかし、グレード(悪性度)の判定には、外科的切除後の病理組織検査が必要になります。
②画像検査・血液検査によるステージング
腫瘍の広がりやリンパ節・内臓への転移の有無を調べるため、所属リンパ節の細胞診に加えて、腹部超音波検査、胸部X線検査、血液検査が行われます。
特にグレードが高い(Ⅱ〜Ⅲ)、所属リンパ節に転移が疑われる、腫瘍が大きい・完全切除が難しい部位にある、再発例といった場合には、腹部超音波検査は重要な検査です。
しかし、小さく低グレードなケースでも、内臓への転移が見つかる確率自体は低いものの、可能であれば受けておくことをおすすめします。
③c-kit遺伝子変異検査
近年は民間の検査センターでも、前述のKIT(c-kit)遺伝子の変異を調べる検査が実施可能になっており、分子標的薬の選択や予後予測の一助として活用が広がっています。
第5章:基本の治療~第一選択は外科的切除~

肥満細胞腫の治療は、グレード・ステージ・発生部位・全身状態を総合的に評価したうえで、外科手術を中心に、放射線治療・化学療法・分子標的薬・局所療法などを組み合わせて行われます。
外科手術(第一選択)
低〜中グレードで転移のない肥満細胞腫に対しては、外科的完全切除が第一選択です。
「マージン」とは、腫瘍細胞を残さず取りきるために、目に見える腫瘍の周囲をどれくらい一緒に切除するかの幅のことで、「横方向(周囲の皮膚)」と「深さ方向(皮下組織・筋膜など)」の両方で設定されます。
肥満細胞腫は目に見える範囲を超えて周囲の組織へ細胞が浸潤しやすいため、横方向へ幅をとるだけでなく、深部方向にも未侵襲の筋膜を含めて切除する「十分かつ適切なマージン確保」が、再発を防ぐ上で極めて重要になります。
放射線治療
腫瘍が大きく完全切除が難しい部位(顔面・四肢末端など)や、切除後に断端に腫瘍細胞が残存した場合には、放射線治療が有効な選択肢となります。局所再発の抑制に高い効果が期待できます。
化学療法・分子標的薬
高グレード、多発性、リンパ節・内臓への転移がある場合は、全身療法として化学療法や分子標的薬が用いられます。
ビンブラスチンやロムスチン(CCNU)などの抗がん剤は現在も標準的な治療薬として広く使われており、これに加えて近年は後述するトセラニブのような分子標的薬が重要な選択肢となっています。
特に高グレード・転移症例では、ビンブラスチンとトセラニブを併用する治療法の有効性を示す報告も増えており、単剤よりも高い奏効率が得られる可能性が示唆されています。
ただし化学療法については「これ一つが絶対的な正解」という確立したプロトコル(使用方法)があるわけではなく、犬の状態や病院の方針により使い分けられているのが現状です。
第6章:薬剤による治療の選択肢

肥満細胞腫の治療では、外科手術を軸に「全身療法として使う薬剤」「症状緩和のための薬剤」を組み合わせて管理していきます。
メインとなる治療薬
以下の薬剤は、外科手術と組み合わせて処方される中心的な薬です。グレード・ステージにより複数の薬を組み合わせて使用します。
| 成分(製品名) | 特徴・役割 |
| トセラニブ (パラディア) |
KITを標的とする分子標的薬(チロシンキナーゼ阻害薬)。再発した皮膚の肥満細胞腫(Patnaikグレード中間型・未分化型)に承認されている経口薬。腫瘍細胞の増殖シグナルを抑えるとともに、腫瘍への新生血管形成も抑制。従来の抗がん剤と異なり自宅投与が可能で、通院間隔をあけやすい点も特徴。消化器症状や好中球減少などの副作用管理のため、定期的な血液・尿検査を行い、必要に応じて制吐剤(マロピタント等)や下痢止めを併用することがある。 |
| 副腎皮質ステロイド | 抗炎症・抗アレルギー作用があり、単独あるいは他の抗がん剤と併用される。腫瘍を外科手術前に縮小させる目的で使われることもある。単独では効果が限定的なため他剤と組み合わせるのが基本。 |
| 抗ヒスタミン薬 | 肥満細胞から放出されたヒスタミンが引き起こす、皮膚の赤み・腫れ・かゆみやアレルギー反応を抑える目的で使用。手術前後や脱顆粒のリスクがある場面でも併用される。 |
| 胃酸分泌抑制薬 | ヒスタミンの刺激による胃酸の過剰分泌を抑え、胃潰瘍・十二指腸潰瘍や嘔吐・食欲不振を予防・軽減する目的で併用される。 |
※記載内容は学術情報・各製品の添付文書情報に基づく一般的な内容であり、実際の使用にあたっては必ず獣医師の指示に従ってください。
まとめ
肥満細胞腫は、比較的簡易な検査で診断できる可能性のある数少ない腫瘍のひとつです。
早期発見・早期の病理診断ができれば、外科的完全切除だけで良好な経過をたどるケースも少なくありません。
愛犬の体に小さなしこりを見つけたら、早めに動物病院で相談しましょう。
- しこりを見つけたら自己判断せず、早めに針生検(FNA)を受ける
- 触って赤く腫れる・大きさが変動するしこりは、ダリエ徴候として肥満細胞腫を疑う重要なサイン、無理に触らずすぐ病院へ
- グレード・ステージに応じて、外科手術・放射線治療・化学療法・分子標的薬を組み合わせる
- KIT遺伝子変異検査は、分子標的薬の選択や予後予測の重要な判断材料になる

日本大学卒業、獣医師免許取得。関東の動物病院で15年以上にわたり小動物医療に従事し、犬猫を中心にうさぎ・フェレット・モルモット・ハムスター・ハリネズミなど幅広い動物種の診療を行っている。また、診療業務を行う傍ら、行政書士の資格を取得し個人事務所を開業。主にペット関連の法務を扱っており、人と動物が幸せに暮らすためのサポートを行っている。
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